2007年10月31日水曜日

ジャンヌ

お友だちに誘われて、島根県立美術館へ

 -モンパルナスに咲いた愛と悲劇-
 モディリアーニと妻ジャンヌの物語展


を観にいきました。
ジャンヌの作品やクロッキーが半分以上で、モディリアーニの作品は少なかったせいかジャンヌの作品展という印象が残りました。

モディリアーニの作品はスッキリのっぺりとした絵に一見、見えましたがよく見るとものすごく描き込んであり見た目のスッキリ感とは全く違い、人の肌の質感まで感じ取れるほどでした。
眼は塗りつぶされ、客観的に人を見ているような感じに見えました。
ジャンヌの絵で一枚眼が描かれている作品がありました。
私には、夫が妻を思う気持ちが伝わってきました。あたたかみというか、愛があふれていました。
ジャンヌをこんな風に見ていたんだなぁ・・・
でも今思うと、自分を見る眼を描いておきたかったのかもしれません。いつまでも見ていて欲しかったのでは・・・
なんてロマンチックすぎるでしょうか?w

一方ジャンヌの方は、私は結婚前~初期の方が良かったです。
フレッシュな感じで何を見ても新鮮に感じていて、ジャンヌの感性に共感しブルブルっときました。
本の挿絵もあり、とてもよかったです。

一番観ていて辛かった絵が、妊娠中の絵と、夫が亡くなる前の絵でした。
とても暗く、窓から見ていた景色ばかりでした。きっとアトリエにこもりっきりだったのではないかと思います。
夫が昏睡状態のときのクロッキーが私にはとてもショッキングでした。
夫が死んでしまうかもしれない。という時に絵を描くでしょうか・・・
これが生きている夫の最後の姿なんだと、描き止めておきたかったのかもしれません。
そして最後の絵が絶望的。人生が終わってしまった絵でした。
展覧会場に入ったときの希望でキラキラ輝いていた空間と一転し、出口はどーーんと重苦しくのしかかってくる空間でした。

出る頃にはもうクタクタで気分も変えたくて夫に頼まれたフライヤー(チラシだそうです)収集。
載っている様々な展覧会を見て気分は変わりましたが、とにかく疲れました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お久しぶりです。
お元気ですか?

私は絵というものは、正直よくわかりません。作者の心の中まで理解も出来ません。絵も全く描けません(笑)。
それでも、絵画展とかたまに行きます(笑)。

なのでもう見て「自分がこの絵を好きか嫌いか」しかないんですよね。

笑っちゃいますよね。だから、とても素晴らしいといわれている絵でも大嫌いだったり、
何気なく飾ってある誰も気づかないような絵が好きになったり・・・。こんな絵の見方があってもいいのでしょうか。

匿名 さんのコメント...

お久しぶりです!
少し疲れていますが、元気です(*・∀・)

絵は、自分にとって、好きだったり、キライだったり、気持ちよかったり、悪かったり、どう感じてもそれは自由なんじゃないかなぁ・・・
でもここは一歩踏み込んで・・・

よつばさんは写真をされていますが、ファインダーを覗いたとき、なんとなく感覚的なものがあると思います。
写真は記録にも使われますが、絵と同じ要素も持っていると私は思います。
他人の写真を見たときに、共感できたり、出来なかったり、これ撮りたい!って思ってシャッターきった時の感覚とか感じる事ありませんか?それは興奮状態だったり、感動してたり様々だと思います。

絵も写真と同じで、やはり見る側も経験がなければ感覚的なところまで理解は出来ないと思います。

私は絵や写真などは感覚で見ます。目でみるというより、感じるというのかな・・・